建芳ヒストリー

『建芳工房』という名前は建具屋 芳五郎の「建芳」という屋号から生まれました。さて、その芳五郎とはいったい誰なのか?

芳五郎は慶応2年、父 彦兵衛と母 きく の長男として生まれました。

長男であるにもかかわらず名前に五郎が付くのには、父 彦兵衛の父が五郎兵衛、母 きく 父の名が松五郎、つまり父方・母方両方の祖父の名に五郎がついていたことに由来するものと推察されます。

彦兵衛の代までは桶づくりの職人をしておりました。聞いた話によりますと江戸城御用達の桶を作っていたそうです。

当時の桶職人は井戸掘り職人とセットで作業することが多く井戸掘り作業も桶屋の仕事のひとつだったようです。

本来ならば、長男である芳五郎が稼業を継ぐべきものですが、どうやら芳五郎は狭いところが苦手、今で言う閉所恐怖症でした。

井戸掘りというものは地面に穴を掘り、ひたすら堀り進んでいく作業。閉所恐怖症の芳五郎にとっては耐え難い状況だったようで、稼業を諦め、建具屋に弟子入りしたという訳です。 建具職人となった芳五郎は明治26年、27歳で かね と結婚。小石川区 西丸町に居を構えます。

明治30年に第2子 長男 長太郎が生まれます。

長太郎は芳五郎の跡を継ぎ、大正14年、28歳で セキ と結婚。昭和6年、長男 健治が生まれます。

金婚式を迎える78歳まで、建具の仕事を続け、98歳で生涯を終えます。

1960年代にアルミサッシが誕生するまで、一般住宅の建具と言えば木製建具が使われていました。

1970年代前半、建具組合の研修旅行に参加した長太郎はYKKの工場でアルミサッシを目の当たりにし、「ジッパーの会社が建具を作り始めたのでは勝ち目がない」と思い、一般住宅の建具から神社仏閣の建具に移行します。

3代目 健治になってからも、功を奏し、奈良 長谷寺・鎌倉 円覚寺など数々の神社仏閣、六義園、料亭など数多くの山門・障子・襖・衝立など、精力的に幅広い仕事を手がけました。平成前半からは宮内庁の仕事も請け負い、賢所三殿の障子にも関わらせていただきました。 米寿を迎え、一線からは退いたものの、補修などの仕事はまだまだ現役、建具職人の腕を奮っています。

建具屋として引き継ぐのは難しいものの、江戸時代からの職人の心意気は受け継ぐことができると信じ、鉄を始めとする金属製品の製作・販 売をするこの工房に「建芳」という屋号を用い『建芳工房』が生まれました。

 芳五郎が建具職人として独り立ちした時期は定かではありませんが、 かね と所帯を持った頃ではないかと推察すると、それからおよそ130年。木製ではありませんが、鉄製門扉も建具のひとつ。「建芳」を名乗る以上は看板の歴史に負けぬよう、多くの人たちに喜んでいただける商品・作品を届けていきたいと思います。

令和2年2月15日(旧暦1月22日)